塾長
本日、リフォームのお支払日ですが、土曜日の為、月曜日となっております。
『お支払の振込予約は全て完了しております。』との報告を総務のTリーダーより受けています。
感謝です。
塾長の講話の中からの一説です。
考えてみれば、私たちは自分の意思によってこの世に生を享けたのではありません。物心がつき、気がついてみれば、この世で両親の下に生まれていたのです。そして自分の意思とは無関係にこの人生を、運命と因果の法則が織りなす人生の布を伝って、私たちは今日まで生きてきました。災難にも遭いました。幸運にも恵まれました。それらの試練に出会いながら自分自身の魂を磨いていき、美しい心、美しい魂をつくり上げていくことが私たちに与えられた人生の目的ではないかと思うのです。
心を磨くということは、魂を磨くということです。言葉をかえれば、人格を高めるということであり、人間性を豊かにしていくことです。美しい人間性を伴った魂にしていく、つまり、やさしい心、思いやりに満ちた心にしていくことが、心を磨き、魂を磨いていくことなのだと思います。
人間は真善美を求めると言います。真とは真実であり、善とは善きことであり、美とは美しいものを探求する心のことです。人間がこの三つを求めているということは、人間という存在自体、真善美という言葉で表現できるような美しい魂そのものなのだと言えるのかもしれません。我々の魂は愛と誠と調和に満ちた美しいものであると、私は信じていますし、愛と誠と調和に満ちた美しい心をつくっていくことこそ、私たちがこの人生を生きていく目的ではないかと思っています。
仏教的な思想では、魂は輪廻転生していくと考えられています。私の魂が稲盛和夫という肉体を借りてこの現世に姿を現わし、その肉体が滅びると同時に新たな旅立ちをし、やがてまた再び肉体を借りてこの現世へと転生してくる。そうだとすれば、私たちが生きる七十年、八十年という期間は、輪廻転生する魂を磨き上げていく期間なのかもしれません。生まれてきたときに持ってきた自分の魂を、この現世の荒波の中で洗い、磨き、少しでも美しいものへと変えていく。そのために人生というものが存在するのではないかと思うのです。
死にゆくとき、生まれたときより少しでも美しい魂に、やさしい思いやりに満ちた心、つまり魂にかわっていなければ、この現世に生きた価値はない。人生とは魂を磨き、心を磨く道場なのではないかと思うのです。
2009年06月20日 by ハット光治

